悪魔が頂き!の戯言日記

悪魔が頂き!の戯言日記

痛車やアイマスやドールに手を出したら、いつの間にか結婚したオタの日記。

お疲れ様でした【長文・乱文注意】

しばらく日記をサボっているせいで、今後掲載予定の日記と
時系列が狂ってしまいますが、ご了承ください。






本日(9日)、マイミクであるhiroさんの葬儀に参列してきました。
7日に、病気のために亡くなられました。






hiroさんが管理人をされている「山口県痛車コミュ ライブ遠征部」
というコミュの副管理人を私が務めさせてもらっている関係で、
1週間くらい前に、ご家族の方から、危篤な状態であることの連絡がありました。


正直、「はっ?」って感じでした。
だって、8月の終わりに、一緒に遊んだばかりですから。
自分よりも若く、つい最近まで、普通に遊びに行かれていた彼。
そんな彼が、病気で危篤状態。
これだけ医療が発達した、この御時世に、
なぜ、こんな状況に陥らなければならないのか。
いや、もちろん、現代でだって、病気で亡くなられてる方はたくさんいます。
けど、だけど・・・やはり信じられませんでした。
信じられないと言うか、納得できないと言う感情だったでしょうか。


とにもかくにも、快復の知らせがあることを祈りつつ、過ごしておりました。


そして、8日。
イベント参加のため、1泊予定で友人と徳島に来てから、訃報を知りました。
正直、参加していたイベントが、とても異空間的なイベントであったことも相まって、
あまりに、現実味が無い知らせでした。
事実を、まったく受け入れられない状況でした。
結局、しばらくの間、頭を切り替えることができず、そのままイベントに参加していました。
でも、それで逆に、一緒にイベントに行っていた彼のことを思い出してきて、
「・・・帰らなきゃ。彼に会わないと。」と思いました。


当日のイベントがだいたい終わった18時頃、彼とは直接関係の無い同行者の方に、
自分と友人(山痛所属)は、予定を変更して帰りたいと告げました。
同行者の方は、明日のイベントを楽しみにして来られていたのに、
それが見られない上に、交通費とかは予定通り払わないといけない。
本当に、本当にご迷惑をおかけして、申し訳なかったと思います。
でも、自分は帰りたかった。
葬儀に、参列したかった。


19時頃から、帰途に。
友人の運転で来ていたので、帰りも、基本的にはその方の運転。
2時間程度、車中で仮眠しただけだったので、とても疲れていた中で、
長距離運転を押し付ける形になってしまい、本当に申し訳なかったです。
そんなこんなで、深夜に山口県に帰還。






そして、今日。
10時前に、山口県痛車コミュのメンバーで集まり、11時より参列。


今まで、自分は、3回ほど近しい人間の葬儀に参列しました。
父方の祖父、母方の祖父、そして大学時代のサークルの友人。
正直に言いますが、自分は、この3回の葬儀で、泣くことはありませんでした。
もちろん、悲しくなかったわけではありません。
2人の祖父とも、友人とも、色んな思い出がありました。
ただ、祖父もそれぞれ長く入院していたり、
友人も、大学卒業してから数年間、まったく会う機会が無かったりで、
もしかしたら、自分の中では、少し離れた存在になっていたのかも知れません。


でも、hiroさん。
彼とは、つい1ヶ月少し前にお会いしたばかりです。
2ヶ月前には、仲間と一緒に海で遊んだばかりです。
3ヶ月前には、仲間と一緒に旅行に行ったばかりです。
5ヶ月前には、一緒に水樹奈々のライブに参戦したばかりです。
その前も、その前も・・・。
そして、これからも、一緒に色んなイベントで遊ぶつもりでした。


なんで?
まだ、早すぎるよ・・・。






彼は、山口県痛車コミュの管理人でした。
コミュは、彼が立ち上げたものでした。


初めてお会いしたのは・・・2008年の9月7日になるんでしょうか。
山痛のオフに参加し、コミュに参加させてもらって間もなくですが、
周南にオープンしたメイド喫茶Peach」に突撃しよう!って呼びかけに参加した時でした(w
そして、色々と話をしてみると、自分が参加していた福岡でのモモーイライブなどにも
参加されていたりと、実はすでにニアミスがあったりしたことに、驚いたりもしました。


その後、徐々に山痛のオフに参加するようになり、
オフでなくともメディオやジョイフルに集まるようになり、
さらに、山痛(さらに言えば、上で出てきた「Peach」も大いに関係してるんですが)を通じて
遊部に参加して、海水浴やバーベキューや旅行やイベントに参加するようになり、
今では、自分の休日の9割くらいは、山痛が関連したものになっています。


今の自分にとってのつながりは、hiroさんがいなければ、出会っていなかったものなのです。
hiroさんがいなければ、今の自分はどうなっていたのか・・・想像もできません。






そんなことを思っていると、自然と、涙が出てきてしまいました。


遊部で大島キャンプをした時、2人してなぜか持ってきていたサイリュウムを、
アニメのOP映像に合わせて振ったじゃないですか。
遊部の忘年会でカラオケパーティした際も、他の人の歌に合わせて
一緒にサイリュウム振ったじゃないですか。
岡山の水樹奈々ライブでも、一緒だったじゃないですか。


まだまだ、これからじゃないですか・・・。






葬儀も終わりに近づき、最後のお別れ。


流れるのは、hiroさんの大好きだった水樹奈々の曲。


また、涙が出てきてしまいました。






「こうするのが故人の遺志だと思う」ってのは、残った者の、勝手な解釈かも知れません。
でも、自分は、「山口県痛車コミュ」を続けていくことを彼は望んでいると思う。
だから、これからも、微力ながら、このコミュを盛りあげていきたい。


hiroさんが安心するように、そして、うらやましく思ってもらえるほどに、
楽しくもりあげていきたいと思う。






hiroさん、お疲れ様でした。










この文章を書いている時点でも、彼のことを思うと、涙が出そうになります。
長文・乱文、個人の勝手な意見等、失礼いたしました。