悪魔が頂き!の戯言日記

悪魔が頂き!の戯言日記

痛車やアイマスやドールに手を出したら、いつの間にか結婚したオタの日記。

思うがままに

時間の短さもあり、ストーリーとか設定とか、
そういうものはちゃんと描かれてないんだよね。
まぁ、そういうものを書きたかったわけではないんだろうけど。
氷川氏も言ってた、「短歌」「俳句」「詩」的ってのはわかる気がする。
すべてを説明(表現)せずとも、ふとしたきっかけを与える事で、
それが視聴者側の思いや感じを増幅させ、
勝手に視聴者側が心を動かしてくれる、というか。
そして、そのきっかけが「日常の風景や自然などの情景描写」なのだろう。
キャラやストーリーや設定で視聴者の心を動かそうとしても、
各自の好みもあるわけで、全員の心を動かせるわけではない。
しかし、あの情景描写は、おそらく全員の心を何かしら動かすと思う。
ただ、情景描写を見ただけでは、やはり各自それぞれで心の動き方が違うと思う。
それを、できるだけ同じ方向に動かす流れを起こすために、
あのストーリーがあるのではないか、みたいに思った。
根本的に「せつなさ」「もどかしさ」みたいな雰囲気の中で、
多くの情景描写な映像が流れたら、その映像のどれかが
多くの人が自分の中にあるせつない・もどかしい思い出や体験に触れ、
その事を思い出す事で、心を動かしてる、といった感じなのかな。
もちろん、その琴線に触れる映像は人によって違うわけで、
ある人は雪の降る街並み、ある人は夕暮れの教室、というところか。
まあ、直接自分自身に似たような思い出や体験が無くても、
例えば他のドラマや映画などで見た風景と感じた感情が元となって
心が動かされる、というのもあるのかもしれない。
つまりは、上でも書いたように「自分の中にある思い」
(直接・間接は問わず)が基本となるわけで、
どうしてもそういうものが(大人と比べて絶対的に少ない)子供が見ても、
面白い作品には成り得ないのだろう。
そういう面から見ても、子供が「短歌」「俳句」「詩」を
理解しづらいのはわかる気がする。
やはり、この作品のメインは「風景」や「背景」であるのだろう。
番組内で、誰かが「アシスタントが描くような背景も、本人が・・・」
みたいな話があった気がする(完全には覚えてないので、もし無かったら、失礼)が、
この作品では、アシスタントがいたとしても、背景はむしろ本人が描くだろう。
この作品の映像を見て、視聴者が自分の思いに触れやすくするために、
とにかくリアリティを出すように、細かい描写がなされているのかな。
そして、あの幻想的な光の使い方が、より心を動かすのに
一役買ってる気がする。


今考えれば、自分がエヴァで感じた事も同じなのかな。
初めてエヴァを見た時に、街並みとかメカの描写の細かさに引きつけられたけど、
あの細かい描写によって、世界にリアリティを感じ、
それが自分の思いを増幅させていたのかもしれない。
もちろん、エヴァの場合で根本に流れてる感情はもっと違うものだろうけど。
・・・いや、(自分の中での)エヴァの場合は、順序が逆なのかな?
細かい描写によるリアリティで世界に引き込まれた上で、
各登場人物の心情に自分の思いが合わさる、みたいな感じなのかな?


そういえば、「雲のむこう、約束の場所」を一緒に見に行った某友人が、
「『詩』的な表現」って言ってたなぁ。
こちらの作品も、長編になって設定とかストーリーとかが
かなり加えられてる気はするけど、
やっぱ根本的なところは同じなんだろうなぁ。
その時は、「『詩』的な表現」ってのがハッキリとはわからなかったけど、
今回のマンガ夜話を見て、よくわかった気がする。
・・・「雲のむこう、約束の場所」も、また見てみよう。



と、自分が感じた事をただただ書いてみたわけで。
あくまで自分が感じた事なんで、石投げないでください(^^;
ま、これは単なる独りよがりなんで、
新たな視点を与えてくれるような意見は大歓迎ですけど。